日本海護謨株式会社 |
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1493〜1496年 | コロンブスの第2回目の新大陸航海の折、ハイチ島で、原住民の子供が樹液から遣った不思議な、黒いポールで遊んでいるのを発見している。その後、ゴムはスペイン人やポルトガル人によって本国へ持ち帰られ、ヨーロッパ人に知られるようになった。しかしそれらは、タバコやジャガイモと固じように、新大陸の珍奇なものの1つとしてであり、ゴムについての科学的な調査、研究は、18世紀まで待たねばならなかった。 |
1735年 |
フランス科学アカデミー(学士院)は、地球の形状についての議論に答えを出すため、南来無帯地方の繊度勘定を目的に探検隊を派遣した。その一員であった自然科学者のラ・コンダミーヌは、ペルー地方まで足を伸ばし、そこで原住民がヘベアと呼んでいる樹から樹液を採り、燈用に使ったり、衣服に塗って油布のように水を遠さない防水服にしたり、また、ある地方では、この樹液を粘土の型の上に塗って乾燥させて壺を造ったり、水を通さない靴を造っているのを発見し、アカデミーヘ報告している。コンダミーヌはその後、アマゾン河を下り、フランス領ギアナに入り植民地政庁の技師フレスノーにあう。彼もまたゴムの不思議な魅力にとりつかれ、ひそかに調査、研究をしており、コンダミーヌを助けた。 こうしてゴムは、この二人によって科学への道が切り開かれ、ヨーロッパの科学者は競ってゴム利用の研究を始めた。しかし、ヨーロッパへ送られて来るゴムは樹液ではなく、黒い塊だったため、研究の中心はこれを溶かす溶剤の発見であった。 |
1763年 | フランスの科学者マッケ、エリッサンはゴムがテレピン油と工一テルに溶けることを発見。初めて利用への道が開かれる。 |
1770年 | イギリスの科学者フリーストリが、字消としてパンの変わりにゴムを用い、字が消えることを発見。英語のこする『rub』から、こするもの『rubber』と命名した。 |
1803年 | フランスに世界最初のゴム工場。ゴム管やゴムバンドを製造。 |
1819年 | ロンドンのゴム工場経営者ハンコックが、素練り機を発明。ハンコックは、馬車の車体メーカーだったが、ゴムの魅力に取り付かれ、幌に利用したりしていた。 |
1823年 |
グラスゴーのマッキントッシュが、溶剤に溶かしたゴム溶液を布に塗り付け、その2枚を張り合わせたもので、防水コートを作り売り出した。それ以来、“マッキントッシュ”は、防水コートの代名詞となった。 ハンコックやマッキントッシュにより、ゴムは生活の中に入ってきたものの、まだまだ不完全な物だった。寒い日には硬くなってひび割れするし、暖かい日が続くと、軟らかくなりベトベトしてきて使いものにならなかった。 |
1839年 | アメリカ入グッドイヤーが偶然(夫婦喧嘩の産物)に、硫黄によりゴムが固くなることを発見。(今で云う加硫)。しかし、彼は妻の内職によって細々と研究している貧乏科学者だったので、この発見を世に発表するまでには更に5年の月日を要した。 |
1846年 |
ハンコックが、型加硫法を発明。彼は、グッドイヤーとは別に加硫も発明していた。そして、VULCAN(ローマ神話の火の神)にちなんで、VULCANlZATlON(加硫)と命名した。 加硫の発明と型加硫の発明により、ゴムの利用範囲は爆発的に伸びたが、原料のゴムはアマゾン地方の野生のゴムであったため、需要に供給が追いつけなかった。ゴムの樹(ヘベア・ブラジリエンス)を英国領植民地で栽培することを説く人もで、ハンコックもその一人であった。 |
1876年 |
イギリス人探検家ウィッカムが、ブラジルからひそかにへベア樹の種子7万粒を持ち出した。当時、ブラジルは種子や苗の国外持出しを禁じていたので、処罰を覚悟の、007まがいの密輸作戦であった.彼は、密輸の王者と呼ばれ、ハリウッドで映画も作られた。(但し、当時ブラジルには国外持出しを禁止する法律はなく、この密輸の話は彼の壮挙をドラマチックにする作り話だったようだ。) ともあれこのようにして持ち出された種子は、ロンドンのキュー植物園に植えられ苗にしたのち、ブラジルと気候の似ている英国領植民地セイロン、マレー、シンガポールに送られた。 |
1905年 | 栽培ゴムが市場に売り出される。野生ゴムは管理された農園ではないので、汁(ラテックス)採取に手間がかかり、収量も限られており、且つ価格も現地の商人によって左右されていたので、この後栽培ゴムが主流になった。1930年以降、野生ゴムは世界のゴム市場でなんらの役割も演じなくなり、ゴムラッシュで繁栄を極めたアマゾン流域ば、再び密林の中に閉ざされていった. |
1888年 |
アイルランドの獣医ダンロップが息子の自転車に空気入りタイヤを取り付けることに成功(イギリス人ウィリアム・トーマスが、1845年に特許取得済みだったが、実用化されなかった)し、当時流行していた自転車に取り入れられ、人気を博した。 20世紀になり、自動車が発明普及すると、ゴムの需要は爆発的に伸び、天然ゴムは戦略物資となった。代替え品として合成ゴムが発明されたが、その物性の優秀性で、いまなおゴムの主流である。 |
ゴム炭化水素 | 35.62%(88.28) |
タンパク賞 | 2.03%(5.04) |
アセトン可溶物(脂肪離) | 1.65%(4.10) |
糖 分 | 0.34%(>1.84) |
灰 分 | 0.70%(1.74) |
水 分 | 59.66% |
1826年 | ファラデーがゴムの分子式を解明。 |
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1862年 | ウィリアムスがイソプレンと命名。 |
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付加重合 |
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